代表ごあいさつ – 創業にあたり –

元気な町には、元気な人も、元気な会社も、居る、要る、入る。

はじめまして、SPYリレーションズ株式会社です!

SPYリレーションズの奥村です。縁あって、廿日市市佐伯地域に法人を設立させていただくことになりました。

当社が目指す会社像は次のとおりです。

  • 地域の未来を見据えながら、地域の今を担う会社

要するに…

  • for the 地域

です。

地域を消滅させようと暗躍するブラック・スパイがいるとしたら、当社は地域を発展させようと活動するホワイト・スパイです。

  • 高齢化が進んでいる。
  • 人口減少も進んでいる。
  • 世の中が収縮し始めている。
  • 地域の将来展望、そんなビジョンを描くのが難しくなってきた。

これらは全部、ブラック・スパイの仕業です。

そんな今、住民や行政だけでなく、会社にもできることがあるんじゃないか、会社ならば、また違ったアプローチで取り組めるんじゃないか。

例えば、「元気な人」を「元気な会社」が支える、「元気な会社」を「元気な人」が支える、地域にこのような相互依存関係の仕組みを作り、より「元気な町」へと歩みを進める。会社ならば、このようなアプローチが可能です。

SPYリレーションズ株式会社は、その「元気な会社」となれるよう、ここ廿日市市佐伯地域に会社を設立し、事業展開を進めます。地域に思いやりを持たれる皆様方、ぜひ、当社のサポーターになっていただきたく、お願い申し上げます。

どうぞよろしくお願い致します。

2018.1.11 奥村 拓道
2018.7.14 一部改変
2019.9.20 一部改変
2019.11.30 一部改変
2022.11.3 一部改変

代表ご紹介

奥村 拓道おくむら ひろみち – Hiromichi Okumura –

ビジネスディベロッパー、SPYリレーションズ株式会社 代表取締役、廿日市市特別職

1972年8月、広島県呉市に生まれる。安芸郡熊野町、広島市安古市町を経て、佐伯郡廿日市町に移り住む。広島大学学校教育学部卒。2男1女の父。廿日市市平良在住。

代表のエピソード

32歳の時、当時の所属企業のボスから任された経営企画業務が契機となり、中小企業診断士を受験する。しかし、2次試験を2年連続でパスできず、「診断士に勝るには現場経験しかない!」と開き直る。診断士対策で学んだ知識を駆使し、財務、融資、法務、営業、製造、生産管理など、社内のあらゆる業務を経営企画の所掌業務と関連づけ、社内の機能やその連関を掌握。会社内の何もかもを良くする、そのどん欲な姿勢の一方で、役員や仲間との協調性も大切にし、貴重な経営体験の数々を積ませていただいた。

次はコンサルで身を立てたい、そんな妄想でやられていたところ、株式会社広島マツダの「総務部長候補」の募集。この求人をある方からご紹介いただき、「違うんだけどな…」と思いながらも、ボスは広島の経済界でも有名なお方、嫌なら断ればいいし、と採用面接に臨む。その面接の真っただ中、ボスから「採用っ!いつから来れる?」と突然の一言。即断即決、ボスの気風の良さに頭が真っ白になり、思わず「ありがとうございます」と答えてしまい、採用が決まる。入社後、半年も経たないうちに管理職、1年弱で子会社の代表取締役を拝命し任務にあたる。2016年7月、おりづるタワーの完成を見届け、家族の健康上の理由により退職。

月刊タウン情報ひろしま2015年11月号No.463広島の注目エリアを大特集Acrive!基町&紙屋町からニュース(2)「(仮称)広島ピースタワー」が来夏開業、広島人にこそ見て欲しい!広島らしさあふれる輝ける眺望(広島ピースタワー開設事務局 局長 奥村拓道さん
TjHiroshima No.463巻頭ニュースより

(仮称)広島ピースタワープロジェクト(現おりづるタワー)は、元々、法的な課題がクリアできず広島市建築指導課からNoを突きつけられており、私がプロジェクトに入った2012年1月の時点では何と1年以上も停滞。私がもたらしたプロジェクト最初の成果は、あるアイデアで広島市のNoをYesに転換させたこと。暗礁は乗り越えたものの、プロジェクトのゴールまではまだ果てしなく遠い道のり、そんな状況であることには変わりなかったが、そのブレークスルーがボスの目に留まり、プロジェクトリーダーを仰せつかる。ここでもボスの気風の良さ、論功行賞の大盤振る舞いに感服。以後のモチベーションは、施設の完成よりも、このボスをどれだけ感動させられるか、感動の質と量にこだわり、アイデアを夢想する毎日だった。

そんな数々のアイデアのうち、ボスをとっても感動させたもの、それは「折鶴の壁」(現:おりづるの壁)。この巨大なオブジェの思想、意義、持続性は、施設の存在意義、つまり「施設の魂」になり、施設が存在する限り、経営に貢献し続けてくれることを説明。この提案に対するトップの感動は半端なく、プロジェクト名称が「広島ピースタワー」から「おりづるタワー」に変更になったほど。施設名称については、県民や市民の方々が「広島ピースタワー」と聞いて想像するイメージと、実際の施設が大きく食い違っちゃならん、ということで、2013年にこのプロジェクト構想を初めて外部公表する時から、施設が早期に市民権を得られるべく、各方面に丁寧な説明を行っていたが、「折鶴の壁」という提案によりあっけなく「おりづるタワー」にひっくり返ってしまった。なので、コアメンバーと酒を飲むときは、未だにその時の話題で盛り上がる。このプロジェクトで得たものは※1のとおり。

現在、廿日市市特別職も兼務しているのは、自分がまだ元気なうちに、一度、社会貢献に身を投じたかったから。この特別職案件は自分の地元からの話だったので、条件度外視、内容オンリーで応募したら、嫁さんに「(選ぶ)基準がおかしいだろっ!」と怒られたが後の祭り。その後、創業の必要性を認識するようになり、現在に至る。

奧村さん 定住促進に着手 広島「おりづるタワー」開業の立役者 広島マツダの松田哲也会長は「企画力や行動力でおりづるタワー開業を成し遂げてもらった。他人のために動くことが好きで、地域振興にも力を発揮すると確信している」とエールを送る
中国新聞2017年9月6日地域面より

(※1)
おりづるタワーは築40年弱で床面積10,000平米超の建物がベースになっており、それを柱と床だけ残してフルリノベーションしている。なので、法令や技術面の検討課題が、施工前からバンバン沸きでてくるし、施工中も容赦なく降り注いでくる。当時、施主の現場責任者として、ボスの代わりに主体的に判断していったのだが、これが百戦錬磨の礎となり、相当な見識を積むことができた。よって今でも何の建築資格も持ってないが、ゼネコン、工務店、不動産業者からは「話の分かる施主」として扱っていただける、感謝。

そして、古いビルのリノベにつき、制約や事件?!が半端なく、旧ビルの部分解体中、改修中、いずれにおいても問題が湯水のように湧き出る毎日。おかげで、問題解決能力は一級品に仕上がった、感謝。

更に、モデル事例のない複合施設構想であり、世界遺産の隣にあるという希少性や重大さもあって、事業理念の詰めに始まり、お客様に提供するサービスなどの設定や構築まで、暗中模索、試行錯誤、寝る間も考えるほどの毎日。おかげで、観察、洞察、考察、など、心の目も一級品に育った。

私の強みである「問題解決能力やアイデア創出力」などは、全部このプロジェクトで身に付いたといっても過言ではなく、苦楽を共にしたボスやメンバーには永遠の感謝を申し上げたい。